一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

百日紅



 児童公園にただ一本の百日紅さるすべり)が、見事に紅葉している。

 花たちの主張も遠慮がちに見えた猛暑のころ、独り気を吐いていたのが百日紅だった。徒歩五分圏内のごくご近所に、ここにもあったかと思うほど百日紅を庭木とされるお宅がいく軒もあって、強烈な陽光をはね返すかのように、というより地獄的暑さを余裕しゃくしゃくで愉しむかのように咲き誇っていた百日紅の勁さに、驚嘆したものだった。暑苦しいほどの生命力に、むしろ閉口する印象すら受けた。
 子どもだったころには、夾竹桃があちこちのお庭で咲いたものだった。毒性が取沙汰されるようになって急速に減り、今ではご近所にひと株しか視あたらない。
 また花壇めいた植込みにはどこでも、カンナが咲いていたものだったが、これもめっきり姿を視なくなった。コインランドリーへ通う道筋に、ご門脇の植込みにカンナをいく株も植えておられたお宅があった。しかし昨年ご改築なさったのを機に、姿を消した。というよりご門の体裁がおおきく変り、植込みがなくなってしまった。今ではフラワー公園の隅っこのほうに、数株のカンナが観られるていどだ。植込みの主要登場人物とは申しがたい役どころとなっている。
 色とりどりのハイビスカスを育てて、いく鉢も屋外に並べ、道往く人に花壇のように観せておられるお宅が一軒だけあって、例外的に盛夏の彩りをなしていた。
 だがなんといっても、百日紅のパンチ力は圧倒的だった。猛暑に太刀打ちできた花といえば、わがご近所では百日紅を措いては他になかった。


 帰宅は夜となった。源ちゃんメモ(買物メモ)にはいろいろ書込みがある。左列がビッグエー、右列は上がサミットストア、中ほどがダイソー、下寄りが川口青果店だ。品目数としては、いつもビッグエーが最多だ。しかし今日は少し勝手が異なる。左列に記されたものも、右上のサミットストアで買わねばならない。ビッグエーが一週間ほどの改装休業に入っている。
 池袋からわが駅までの電車のなかで、メモを確認する。急がぬものや一週間なら代替できるものは保留扱いとして、一週間は待てぬ品のみ、サミットストアの品目に加える。メモ上では、左から右へのコンバートだ。牛乳と豆腐とをコンバートした。

 しばらく大改装中だったサミットストアが大幅な模様変えをとげて、先ごろ新装開店した。今度はビッグエーだ。利用者の便宜を考慮して、互いの休業時期をずらせたものだろう。同じ建物の二階を占めるダイソーも、必然的に休業中だ。
 ビッグエーの改装期間は一週間あまりだ。大幅模様変えというほどにはならないのだろう。買物ホールとバックヤードとの配置にまで及ぶのだろうか。完全自動支払い化は進むような気がする。
 店前に立ってみると、店内はガランとして人影もなく、照明もすべて消えて真暗だ。写真では店内が明るいかのように見えてしまうが、往来を挟んだ正面のセブンイレブンが反射して写り込んでいるに過ぎない。

 町の変化はかたときも歩を停めない。商店街には視慣れぬ職種も新開店も増えたが、この土地の人ではないらしい。外国人さんの経営者も多いらしい。視慣れた店であっても、経営ノウハウごとそっくり売却されて、経営者が余所のかただったりもするらしい。旧経営者の高齢化と後継者の払底とが進み、表面は同じ街並でも私なんぞが知らないかたがたによるご商売が軒を連ねるようになってきたのだ。
 「おたく〇〇小で、だれと同期? ということは私と〇年違いだ。じゃあ〇〇知ってる?」
 そんな店頭挨拶も居酒屋トークも、できない時代となってしまった。

 
 百日紅は、児童公園が今の植込み配置になる前から、そこに立っていた。遊具の改良増加や公衆便所の新設にともなって、公園内のレイアウトが全面的に刷新されたさいにも、百日紅は移動させられなかった。砂場や滑り台の位置は移動し、ベンチの配置も変ったのに。まるで百日紅を不動の定点として、周囲の山吹や草本類を按配したかのようだった。当時の区役所公園課の技術職員がたが、たぶんそのように判断なさったにちがいない。公園内には、なん倍も図体の巨きな八重桜が一本立っているが、そんなのは新参者で、百日紅のほうがはるかに古参だと記憶する者も、もはや少ないのだろう。
 猛暑の夏には強烈な花を咲かせた百日紅が、他の樹が色を失った今も、鮮烈に紅葉している。