一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

シャンとする



 節季にしたがえば、大暑である。一年の暑さのピークということか。全国的に晴天だという。各地から猛暑日、そして今年から分類されるようになった酷暑日のニュースが届く。

 信州長野ご在住の文学仲間から、涼やかな銘菓を頂戴した。
 私がまだ二十代だったころ、ご縁あって長野にお住いの文芸評論家からご指導を受ける機会を得た。そのかたは信州文界を束ねる大きな団体から独立して、同人雑誌を立上げた。四十代半ばにて、惜しくも早逝した。
 同誌の定連寄稿者でもあった夫人が、跡を継いで発行人となられた。長く続いたがさすがにご高齢となられ、今は娘さんに看まもられながら、余生を過ごしておられる。同人雑誌の発行業務も、その娘さんが跡を継いでおられる。すなわちわが文学仲間のお一人だ。地元に足を着けた、小なりとはいえ由緒ある暖簾の同人雑誌である。
 東京と長野だし、お互い活発に出歩くたちでもないから、お眼にかかる機会はめったにないけれども、地に足の着いた地道な活動を遠くから敬服して今日にいたっている。

 先日わがブログセレクト『蟻の周辺』を、ぶしつけにも一方的にお送り申しあげた。同人誌の新号が刊行されるたびにご恵送いただきながら、当方からはなんの返礼もできずに長年を過してきた。力も衰えて、ろくな新稿も書けずにいる。せめて老残日常のよしなし事の断片あれこれでもと、恥かしながらお届けしたのだった。
 その雑稿集のなかに、とある若き友人から頂戴物をした記事が含まれていた。若者のご祖母様が信州のご出身とかで、小布施町産の栗の蜜漬をいただいた記事だった。長野の同人誌発行人女史は、これに反応を示してくださった。
 小布施町は長野市から北東に位置する。須坂市や土雛で名高い中野市に近い。中野市よりもっと北東へと進めば、木島平だ飯山だ野沢温泉だということになり、新潟県へと抜けてゆく。私は無知にして初めて知ったのだが、小布施町は栗の名産地として名が轟いているらしい。
 で、栗の蜜漬が気に入ったのならこれはどうかと、「栗水ようかん」をご恵贈くださった。ここでもまた、心ならずも海老で鯛を釣ってしまったわけだ。

 さっそく冷蔵庫に収めたのではあったが、冷え切るまで待ってはいられず、一個だけ賞味させていただいた。撮影後たたちに、他は冷蔵庫へと戻したけれども。
 なるほど、名産地の誇りを前面へと押し出した菓子だ。水羊羹である前に栗である。近年「甘過ぎないのがイイ~」てなことを云って、羊羹においても、饅頭や最中においても、軽い風味が尊重される傾向がある。とくに都市部においてさようだ。餡子というものに対する感度が鈍くなってきている。これならゼリーで十分だと云いたくなる水羊羹に出くわすことすらある。たまに流行に乗るまいとする、地方銘菓に出逢うことがあると、おおいに納得する。いやライト風味もそれはそれで美味いし、納得するのではあるが、菓子舗には菓子舗の矜持もわきまえもおありだろうに。そのことに納得がゆくのである。
 この菓子はたしかに、栗だ。しかるのちに栗羊羹だ。そのうえで「栗水ようかん」だ。


 埼玉県にお住いの義叔母から、鰻の蒲焼のご恵贈に与った。四万十の鰻とある。土佐の西詰めの清流の地に、わが国屈指の鰻養殖産業があるとは、耳にしたことがある。
 物理学者だった叔父(母の末弟)が先年他界し、今や父方を視まわしても母方を視まわしても、系図上の目上の親戚は、この義叔母ひとりとなってしまった。あとは齢上の従兄が数人健在であるだけだ。
 叔父も義叔母も研究職にあったし、その息子や娘たちも揃って研究職か教育職か、民間の専門職に就いている一家だから、私ごときとはかけ離れたご家風で、日ごろは声をお掛けする術すら知らない。だが近況報告を欠かすわけにもゆくまいから、『蟻の周辺』を送りつけるぶしつけを犯した。で、これまた海老で鯛を釣ってしまった。面目ない。

 「あなた、大暑だから猛暑だからって、なんだってのよ。少しはシャンとしなさいっ」ということだ。
 はい、お義叔母さま、せいぜいシャンといたします。鰻、いただきます。ご馳走さまです。