一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

人間なんぞ

 サバが不漁だという。サンマも、昨年に続いて、不漁の見込みとか。イワシは好いそうだ。海水温が零点何度変るだけで、回遊魚諸君の生活圏は変化するそうだから、黒潮はもはや、彼らの快適生活圏ではなくなってしまったのだろうか。
 それとも、卵か稚魚の時期に起きた食物連鎖のひずみによる現象だろうか。古来、サバが豊漁な年にイワシが不漁なのは、南の海で、成長期のサバがイワシの稚魚を食べ尽したからだというような説を、耳にしたような記憶がある。おぼろげな記憶だ。魚の種類が違ったかもしれない。調べなおすのも面倒くさい。
 
 太平洋より規模は小さいが、年による生命のひずみは拙宅にもあって、今年はゴキブリが姿を見せるのが遅い。
 パソコンを設置した事務室のデスクと、小冷蔵庫や流し場がある水回りと、階上の台所には、それぞれゴキジェットを置いて、臨戦態勢をとっているが、まだたいした出動はない。これからだろうか。

 代りに、どうやら大量発生している模様なのは、名も知らぬ体長数ミリの小さな蛾である。毎日のように、一匹二匹が眼につくということは、私の知らぬところに、相当数が生息しているのだろう。
 べつだん実害もなさそうに思って、気にせぬよう努めていたのだが、数日前から、気に掛りだした。
 ためしに、飛行中の彼らにゴキジェットを発射してみたら、面白いように効く。急降落下して、数秒間断末魔のあげくに動かなくなる。経口からの呼吸器麻痺だろうか、皮膚からの浸透だろうか。まだ調べてみていない。
 ゴキブリ用剤と体調数ミリの蛾とでは、建造物を破壊する鉄球で犬小屋をつぶすようなもので、ひとたまりもないのも頷ける。

 だが、と、ここで考え込んでしまうのである。蛾だの、蚊だの、ごく微小な羽虫類だのを、あまりに神経質に退治してしまうことは、日頃から比較的良好な関係を築いているクモやヤモリ連中の食物確保に、悪影響はないのだろうか。
 いやしかし、たかが私にできる程度の小規模殺戮が、彼らの生存条件に障るなどという大それたことにはつながるまい。
 いやいやしかししかし、蛾一匹の致死量の何百倍・何千倍の毒液が、空中散布されているのである。風が吹けば桶屋がなんとやら、巡りめぐって、彼らにとんだ迷惑を及ぼさぬとの保証は、どこにあるのか。

 この世の連鎖の仕組みなどというもの、人間なんぞには、とんと判らぬものだ。
 サバもイワシも、好きだけれども。