一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

保水力



 土壌の保水限界というものが、あるという。

 九州・奄美地方のかたにとっては、近年いまわしい年中行事となった感すらある台風襲来である。お気の毒で、お見舞いの言葉もない。
 気象予報では、観測史上屈指の巨大台風として、今では記憶する国民もさほど多くはあるまい伊勢湾台風室戸台風までが、引合いに出された。が、不幸中の幸いにして九州に上陸後は急速に中心気圧も風力も減退したという。その代り広範囲に雨雲の触手を拡げた、居座り型の雨台風だそうだ。遠く離れた東京でも、昨日から降り続けている。

 ラジオでは、崖崩れ・地すべり・鉄砲水など傾斜地での二次災害に注意喚起すべく、土壌の保水限界を指摘している。たとえ少量の食糧でさえ、すでに満腹のところへ詰込めば、腹の皮が裂けるというわけだ。
 もともと土壌組成のよろしくない拙宅敷地では、すでにして土による水分吸収拒否は始まっている。草むしりを済ませて、地表が露わになった箇所から始まる。草ぐさが繁茂している箇所はたいしたもんで、まだ水揚りしていない。

 
 コンクリート敷の駐輪スペースと、周囲の塀や建屋の土台との継目にはかすかな隙間がある。ありていに申せば、老朽化による亀裂もしくは溝だ。そこに溜る砂ぼこりのごときかすかな土壌でさえ頼りにして、小植物が芽を吹いてくる。
 買物や散歩の往き還りに、気紛れに摘み抜いたりする。か弱くか細い草ぐさばかりだから、さして手を汚すこともなく、容易に引抜ける。丹念に抜いたところで、合せてひと握りだ。門扉ごしに、敷地内へ放り込んでおく。自然乾燥で事足りるし、そのあたりを草むしりするさいに、一緒に片づけたっていい。
 しかし連中だって必死だ。摘んでも摘んでも、また芽吹いてくる。速度も頻度も、たいそう逞しいし、執念深い。

 煙草と牛乳を切らしたので深夜の買物に出たかったが、昨夜はあまりに本格的しかも大粒の雨で、つい躊躇した。今朝はいくぶんか小粒の雨となったので、出かける気になった。で、またもやという感じで、小植物たちと対面した。
 しかし、とここで考えたわけである。彼らはコンクリートの亀裂の下の土壌保水力を支援してくれているのではないか。亀裂を覆い、さらには亀裂に浸込み吸込まれたかもしれぬ雨水を、その葉によってコンクリート面へと弾き返してくれているのではないだろうか。ふだんであれば、お通りかかりのかたにたいして見苦しいからとの理由で、二念なく摘み抜いてきたが、連日降雨が予想されるここ数日に限っては、共闘関係にあるのではないだろうか。
 傘を差して、腕には買物袋の持手を通している恰好ではあるし、本日のところは臨時停戦協定とした。


 そこへゆくと門扉の内側では、小植物たちの繊細さとは似ても似つかぬ荒武者所業である。役目を了えて傷み果てた葉をすべて伐り取って、いったんは丸坊主にしてやった君子蘭が、日一日と新葉を伸ばしてきた。玄関のすぐ前だから、ほぼ毎日いやでも眼に入るが、まことにやりたい放題の狼藉といった勢いである。
 中央のやや丈低い株にいたっては、つい先日まで花を咲かせ「私は葉には興味ございません」みたいな顔をしていたのである。花が見苦しくしおれたから、茎の根元から伐ってやった。と、翌日から一転して葉を伸長させる欲望に眼覚め、当初から葉のみに専念してきた左右の株に、一日も早く追いつこうとするかの勢いである。憎たらしいほど、生命力の判断に忠実だ。
 大量に水分を吸収する連中だから、雨台風がやって来たところで、彼らの根元には、水溜りなどできぬかもしれない。台風一過の来週には、さらに葉の丈を伸ばしているにちがいない。