
署長、事件は現場で起きてるんです!
ある日この道を、一台の運輸トラックが通っていった。正しくは通り抜けようとして、失敗した。運転席よりはるかに高いボックスを背負った、大型運送用トラックだったそうだ。最大積載量13,5トン、いわゆる10トン車と称ばれる車輛だったという。
左手前はコインパーキングで、蜜柑色の角柱ボックスは駐車料金の支払い機だ。その先には道に面して、飲料の自動販売機が二台立っている。伊藤園とコカ・コーラだ。その向こうには、花梨の樹が一本立っている。「ただ今工事中」を示すオレンジ色と黒との金網フェンスが道に面している。金網フェンスと花梨樹の左手が、拙宅側面である。
道は一方通行路で、歩道はない。代りに、車輛通行時には歩行者はこれより脇を歩きなさい、車輛はこれより中央を通過しなさいと指示する白線が、道の左右に引かれてある。大型も中型も軽トラックも、白線にはさまれた中央を通過して行く。車の影が見えたら、私たちは白線の両翼へと身を避ける。
ところで、今見える花梨樹の向うには、かつて桜の老樹がひと株立っていた。群馬県の運輸会社の大型トラックが、荷台の最上部を老樹の枝にゴツンと引掛けた。急遽停車してくださればまだしもだったが、力まかせに突っきろうとなさったのだろう。メリメリッとばかりに桜樹は無惨にも幹からへし折られた。今年の四月五日の出来事だ。三分咲きだった。
花梨樹のほうであれば、そうはならなかったろう。よしんばケヤキでも、柳であればなおさらだ。
運転手さんはごぞんじなかったのだろう。桜の樹質は樹木のうちでも屈指の硬さをほこる。古来戸棚だの茶箪笥だの、文机だの文箱だの硯箱だのに加工されてきたのは、木目の鮮やかさもさることながら、樹質が硬くしっかりしているからこそだ。柔軟にしなって車輛をやり過してくれる樹木ではなかったのだ。
拙宅の桜樹は、花見名所の「桜トンネル」とは似ても似つかず、道路に身を乗出してなどいなかった。
桜は本来、枝を横に張り出したがる性質を持っている。本能だ。「桜トンネル」もさようだが、どこまで横に伸びるか確かめてやれというような樹形の例としては、京都御所の桜が有名だ。自重に耐えられなくなった枝を、杖のごときつっかい棒で支えたりしてある。
そんなことになっては大ごとだ。なにせ三十メートル先には十字路があって、信号機もある。運転手さんがたの視界を遮ってしまっては一大事だ。この二十数年というもの年に一度は植木職の親方に出張っていただいて、横枝を詰めていただいてきた。樹の性向を知る親方と私は相談のうえで、桜の樹形としては奇形であるとは承知で、横枝を詰めて上へ上へと伸ばしてきたのである。桜樹には気の毒だったが、やむをえぬ仕儀だった。
樹木を知り尽した親方が按配したのだ。枝が道路上へと身を乗出したのは、ようやく梢に近づくあたりからで、二階のベランダもしくは屋根に近いあたりだ。それも白線上にまでなど届いていたものか、いなかったものか。
だが群馬県の運輸トラックは道の左よりいっぱいの、拙宅ブロック塀に沿うように通過しようとした。なぜか。そんなことしないための白線ではなかったのか。
その時、拙宅の対岸すなわち道の右側には、違法駐車車輛が停まっていたという。それを避けて通ろうとして、運転手さんは拙宅寄りを通ったという。一方通行路に違法駐車とは、なにごとだろうか。ならば事故原因は違法駐車車輛の違反と、運転手さんの判断ミスではないのだろうか。
拙宅敷地内から、隣接駐車場を撮った。じつはコインパーキングは広い駐車場の半分で営業され、もう半分は駐車場経営者である運輸会社が、自社の超大型トラックの駐車場にしている。夜間はここに五~六台が眠り、午前五時を期していっせいに出発して行き、昼間はガラ空きである。たまたま暇だったのか、かような画が撮影できる日はめったにない。
今回の事故をきっかけに、同社の出庫模様を観察する癖がついたが、超大型トラックたちは巧みにハンドルをきって道へと出て、道路上の白線内を、それも物差しで測ったかのように中央通って、出かけて行く。
運輸会社とは二十年以上の隣人関係だが、拙宅の樹木が迷惑だの通行妨害だのとクレームを受けたことは一度もない。ついでながら目白警察署の交通課からだって、それらしい指導や忠告を受けたためしはない。
だが隣人ではない、群馬県のほうの運輸会社は、交通妨害した桜樹のせいで車輛がおおいに傷んだから、修理代を弁償しろと主張する。私の年金を二年分相当をよこせと云ってきている。同社の担当社員も、かつて代理人を自称した保険会社も、新しく代理人を自称する弁護士も、どなたお一人として現場を検分しに来ようとはなさらない。事故は机上で、もしくは六法全書のなかで起きたと、云わむばかりだ。
さような時代に、国に、国民になっているのを、私が知らないだけのことなのだろうか。警察官は「現場百遍」とは云わなくなったのだろうか。新聞記者は「足で稼げ」とは云わなくなったのだろうか。いささか思い当る。作家志望と云うから詳しく訊いてみると、人間観察になど興味もないが、物語を創る興味はあるとの応えに接することがある。芥川賞なんぞ欲しくもないが、ラノベ新人賞なら欲しいし本屋大賞ならもっと欲しいと意思表明する、正直な若者もちょくちょく視かけるようになった。