
君子蘭東。長年放置された古鉢割れ鉢のなかで、あまりに巨大化した球根群を割って、分散地植えした、その一方である。
地植えにすれば、命はつなげるだろう。だが先祖還りが進み、花芽を挙げることはなくなるかもしれない。過密の逆境ゆえの枯死を覚悟で、園芸種としての誇りをまっとうするか、駄種に成りさがってでも命をつなぐかの、二者択一だった。彼らをみじめに生かしたのは、私の選択だ。
視るからに栄養不足の、細らみいじけた葉姿とはなったが、根着いてくれた。命あって物種と、わが選択を慰めた。
年周期の役割循環が終盤に近く、葉の先がだいぶ枯れてきている。が、全体に色褪せたとはいえ、まだ緑色部分を多く保っている。老化したとはいえ、必死に光合成を続けているにちがいない。丸坊主にしてやれば、たちまち新葉を吹き出させてくることは経験済みだが、まだその時期ではない。使命に忠実な老兵の活躍を視届けてやろうかという気分だ。

君子蘭西。もと割れ鉢から身をあふれさせながら、ガラクタに埋もれ、雑草類に埋もれていたあたりである。
東へ移封されていった元家族たちと同様、こちらも根着いてくれた。年循環においては、東よりも生育が早い。かなりの葉が、すでに褪色して、枯死切離を待っている状態だ。東組と西組とはほぼ向い合っていて、風通しにも土壌にも相違はない。わずかな陽当りの差としか考えられない。
南に往来を挟んだ拙宅向うはマンションで、その東すなわち拙宅筋向うは二階家だ。君子蘭東は、東は塀ぎわだし、南はマンションに陽をさえぎられる。夏には陽光を浴びるとはいえ、この季節ともなるとわずかな時間だけ隙間からの陽が届くていどだ。たいして君子蘭西は東接隣家とマンションとに東と南をさえぎられながらも、南東方面に空が開けていて、午前中のかなりの時間に陽射しが届く。わずか三メートルの位置の隔たりが、環境の違いを生じさせているのだろうか。
光には直射日光のほかに複雑な反射光も多く、気温にも明度にもさしたる差はあるまいとたかを括っていたのだが、東西の君子蘭を診断すると、歴然たる相違が視てとれる。植物は正直だ。
西だけを葉刈りした。老葉を伐ってみると、根元近くから脇芽として、すでに丈の低い幼葉がなん本も伸び始めていた。それらを残して、役割をほぼ了えた老葉だけを茎ごと伐った。
葉刈りの時期が正しいか間違っているかを、私は知らない。ただ当人たちの顔色からだけ、勝手に判断した。やがて東をも葉刈りする時期が来るのだろう。いずれが正しかったか、植物たちにとって幸福だったのはどちらだったか、先へ行ってみなければ判らない。
理論には興味ない。彼らの顔色から独自に判断した。私はいつも、そうやってきた。