
残念、腕が鳴る、と強がりを云えたのは十年ほど前までのことだ。
二十三区内も積雪三センチの恐れありと、ラジオでは予報していた。たしか積雪三センチとは、溶けて水となった状態で三センチという意味で、肉眼で視る雪の深さはもっと大仰な光景になるはずだと、小学五年か六年の理科を思い出して、覚悟した。スコップだのブリキ塵取りだの、雪掻き装備をすぐ手に取れる場所に出しておいた。
かつて積雪があったときには、拙宅の駐輪スペースと拙宅前の道路のほかに、コインパーキング側は勘弁してもらうとしても、向う三軒片隣のご門前から道路までの短い距離くらいは、私が雪を掻いたり寄せたりしてきた。春には拙宅の桜の花びらが、年末には落葉がご門前を汚しているから、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。いずれも女性ばかりのご家族だったり、通い開業の歯科医院さんだったりしたからでもあった。しかしここなん年かのうちに、だいぶ様変りして歯抜け状態となってしまい、今はお向うの粉川さんのお婆ちゃんの玄関前と筋向うの音澤さんの勝手口前だけになってしまった。
ふたを開けてみれば、みぞれていどの雪で済み、すぐ雨に変ったのは幸いだった。雪掻き面積が減ったとはいえ、私の体力はそれ以上に減退してきている。
雨は朝のうちにあがった。ただし北寄りの風が吹いて、かなり冷たい。近年眼に見えて寒がりとなった私にとって、これはこれで気力喪失の原因となる。
陽が翳ると急に寒くなって、ちょいと出るのでさえ億劫になる。今日こそは明るいうちにと殊勝な気構えで、二重マフラーの万全装備にて風をついて買物に出た。まず川口青果店だ。じゃが芋ひと袋と……。
「らっしゃい、カボチャ、今切ってるから、ちょっと待って」
奥から大将の声がかかった。週一ていど来店するたびにカボチャを買ってゆく老人と、私は当店で認知されているんだろう。
人参だのじゃが芋だの胡瓜だの、茄子だのピーマンだの生椎茸だのは、それぞれ小分け袋に入って台に山積みとなってあるが、カボチャは三分の一カットになって、二個かせいぜい三個しか並ばない。羽が生えたかのごとくいっせいに売れてゆく商品ではないのだろう。たまたまその二個か三個かが売れたと見えて、いつものカボチャ台が狭い隙間になっていた。じゃが芋の袋を手にした私は、一瞬戸惑ったように棒立ちになっていたらしい。大将は電動カッターでカボチャを切り、ラップに包んでくれた。
ビッグエーでは、乾燥芽ひじきと竹輪と大豆水煮とを買う。いつもと同じ惣菜を作る気だ。牛乳と豆腐とは定番。それに久しぶりで醤油を補充する。なんに寄らず陳列された銘柄のうちの最安値商品を選ぶのが私の買物の原則だが、例外的に醤油だけは有名メイカーの丸大豆醤油の、減塩でないほうを選ぶ。
理髪店のご母堂とすれ違ったが、棚の物色に夢中で危うくお視それしてしまうところだった。カートを押してのお買物姿ではあったが、お元気そうに歩いておられる。先日ご馳走になった栗饅は美味しかったと、お礼を申しあげる。
即席のポタージュスープと茹で小豆の袋を買い足したら、なん日か前に池袋の百均店で気に入った新しい買物袋が満杯になりそうた。支払い後の作業台にて、じゃが芋とカボチャをいったんバスケットに取出して、効率好く詰め直す。それでもはち切れそうになった。
帰り途の荷物は重く、途中で左手から右手へと袋を持ち換える。それでも、専業主婦のご婦人がたがストレス解消法はと訊ねられて、買物と応える気持がちょっぴり解る気がした。鼻唄は陽水の「リバーサイドホテル」だ。
帰宅して、冷蔵庫に収めるべきものを収めて、さてパソコンを立ちあげる。私好みの数字がいきなり表示された。
北寄りの風がたいそう冷たい。それ以外は、まあまあの日だ。