一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

安心と停滞



 WBC の開催中だという。放送や配信では、たいそうな盛上りを見せていることだろう。こんな日記を書いていてよいものだろうか。
 放送も配信も観ない。ラジオを点けっぱなしにしておけば、どこかで結果くらいは取沙汰してくれることだろう。

 せっかく炊いたんだ。飯を食おう。野菜の在庫と残りもののあれこれとを使っての鍋は、明日回しだ。麺類の着実消費も、いったん小休止だ。
 食い慣れた食事をしようかと、ヒジキを炊いた。ほんのわずか甘辛に炊いておいて、白飯に混ぜこむだけで、絶品の混ぜご飯となる。
 玉子は一日一個。高血圧の老人食ゆえ、味噌汁は二日か三日に一度だ。肉類はウインナ一本で十分。魚成分はツナマヨとかつお節と竹輪。海藻はヒジキと若布と昆布出汁でふんだんだし、薬味皿にあれこれ付合せておけば、腸内細菌への贈り物たる乳製品ほかの発酵成分や微量要素も摂れる。

 独り飯の炊事をするようになって、十六年あまりが経つ。時どきのマイブームにはずいぶん変遷があったが、基本的な考えかたには変りがない。老人食とは、こんなふうにしておけば無難で安上りだという、消極的理念である。
 冷蔵庫にじゃが芋が眠っている。明日あたり、これで煮っころがしでも仕立てれば、ますます定常コースだ。

 若き日には、珍しいものを食うことが好きだった。職業料理人による、手のかかった料理を口にすることも、嫌いではなかった。「社用」を言いわけに、分不相応な金もおおいに使った。あながち無駄だったとばかりは思わない。それどころか、今の粗食に引け目も劣等感をも覚えずに、必要なものだけ食って暢気にしていられるのは、バブル期会社員としての無駄使いのおかげとすら思っている。
 そして幼き日に、裕福でなかった家計のなかで、母があれこれ倹約したものを食わせてくれたおかげだと、今さらながら感謝の想いすら湧く。

 高校生時分に聴いたラジオの深夜放送で、永六輔さんが云っていた。先輩や上司や裕福な人がご馳走してくださるとおっしゃたら、遠慮してはならぬと。高価なものでも、珍しいものでも、物おじせずにガツガツ食えと。同時に学生食堂の最低ランチも、たくさん食えと。両極を食っておくことが、いつかきっとお前の財産になるからと。そんなものかしらんと思いながら、大学では学生食堂を利用した。
 ただしなん十年か経って、教員としてふたたび大学へ戻ったときには、学生食堂の献立レベルは、記憶にある学生食堂とはまったく異なる時代となっていたけれども。
 ともあれ社会人となってからも、さらに今日にいたるまで、ラジオで聴いた永六輔さんの言葉を忘れていない。

 だがしかしと、また一方で思うのである。自分のかような考えかたが、そして性格が、半生を通じてもうひとつ貪欲な仕事ができなかった原因ではなかったろうかと。安心を求めるあまり、停滞することに鈍感だったのではあるまいか。
 今さら反省したところで、どうなるものでもない。けれども、もう一度生き直せるとしたら、今度は博打好き・金好き・権力好きで生きてみようか。女性好きだけは、まあこれくらいでいいか。
 たっぷり炊いた白飯を小分け冷凍すべく、おにぎりを握りながら、そんなことを考える。