一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

腹立ち

 三週間前から、拙宅の門柱脇に自転車が一台、放置されている。子供用自転車だろうか、それとも今様の、車輪は小ぶりでも大人用のお洒落自転車なのだろうか。いずれにせよ、うちの次郎(我が愛車の名)より数段真新しく、値段もよろしそうな姿をしている。
 当初は、こう思っていた。お向うの集合住宅のどなたかが、駐輪場満杯につき、一時停めておかれたろうか。それとも近隣のどなたかが、ここで下車してご用を足されたまま、帰りはうっかり徒歩で帰宅なさったとか。
 いずれにせよ、新品同様の自転車だ。早晩回収に見えるに違いないと、手を着けずにいた。しかし二日三日はともかく、一週間を経たとなると疑問が生じ、やがて不信感も芽生えてきた。なんて持主だっ。
 かといって、当方が行動を起して、ひと足違いで持主が現れたとなっては、ひと様を巻込んで余計なお手間をかけかねぬし、だいいち腹立たしい。

 いつからと正確な記憶はないが、ほゞ三週間経過したし、この間雨の日にはずぶ濡れになったままだった。やむなく駅前交番へ赴き、経過を報告して相談した。
 対応してくれた、まだ頬に赤みが消えぬような若い巡査君が、町内の地図を広げて、拙宅の場所を訊いてきた。いつから住んでるかとも。(キミが産れるずっと前からです)云いかけて、やめた。「敷地内のことは、大家さんか地主さんに相談してください」(俺だっつうの)本人確認のつもりだろうが、電話番号を訊かれたからスラスラ応じ、「固定電話です。携帯は持ってません」と応じた。生年月日は、と来た。(放置自転車と関係あんのかなぁ)「一九四九年、昭和で申しますと二十四年、丑年です。八月四日、獅子座になります」(これでよろしいですか? 老人健康保険証も出しましょうか)

 奥から三十代半ばほどの先輩巡査が出てきた。顔に視覚えがある。「あっ、医院さんの裏手ですね。自分のパトロール区域ですので、よく判ります」
 「それはそれはご苦労さまです。お世話になっております」
 ようやく話が進み始めた。ところが相談するうちに、これは容易ならざる事態と思えてきた。

 公道に放置された自転車であれば、区役所へ連絡すれば、回収してくれるという。駅前広場や公園や、商店街の隅や信用金庫の前などに放置された自転車が、定期的に撤去されて、しかるべき保管所へ移送されるのと、同じ扱いとなるのだろう。拙宅の門柱に寄りかかっていても、車輪が公道上にあれば、それが可能だという。
 だが今回は、門柱に寄りかかりながらも、前輪後輪とも敷地内にあり、公道ヘは尻尾と尾灯しか出ていない。この場合は当方の管理判断・責任ということになるらしい。区役所へ話を持込んでも、門前払いになるのがオチだという。

 いちおう事件物(盗難届が出ていたり、何らかの事情で手配されていたり)でないことを確認するまでが警察の仕事だとのことで、若いほうの巡査君がついてきた。
 せっかく駅前交番まで行くのだから、帰りに八百屋とビッグエーに寄ろうと、買物袋を肩に掛けていたのに、これでは無駄足だ。が、それは運動の機会と考えることにして。
 改めて当該車をよく視てみると、防犯ナンバー登録票が貼ってない。持主は、購入のさいに保険支払いを渋りやがったのだ。きっと名前も付けなかったに違いない。
 巡査君はスマホで、メーカーや車体番号をどこかへ連絡し、事件物でないことを確認してくれた。あとは当方で、どうぞご自由にという態度だ。

 「梅雨の陽気だし、出しっぱなしも忍びない。もし奥へ片付けたあとで持主が現れて、私が盗んだとでも云いがかりをつけてきたら、警察は仲裁対応してくれますか?」
 予想どおり、答えは否だ。
 「では、ご存じの範囲でお教えくだされば結構だが、何日あるいは何週間、放置されていたら、所有権を放棄したと見做されるというような、決りか法律はありますか?」
 またもスマホで問合せ。そんな法律はないと、「上」の見解。

 隣接するコインパーキングに備えつけられた自販機で、微糖珈琲をふた缶買って、
 「ご苦労さまでした。公務員さんに失礼だけれども」
 いえ、まずいです。仕事ですから。それほど仕事したわけでもないので……。
 舐めてもらっちゃ困る。こちとら零細出版社の営業担当だった時代もあるんだ。固辞する相手にモノを受取らせるのが、芸のひとつだったんだぜ。

 このブログを書いているうちに、だんだん腹が立ってきた。明日は断固として、当該自転車を奥へ、つまり拙宅車庫へ、格納する。持主め、現れてみやがれ。一戦構える所存。