一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

忍野八海

これより忍野八海、遠方は富士。

 あまりに有名な観光地だからと、ご案内人は一推しでもないようなお口ぶりだったのだが……。

 丹沢ご夫妻が米子から移られて、最初にご住所を伺ったとき、富士山麓の地理に暗い私でさえ、「忍野って、あの忍野八海の?」と、咄嗟に訊き返したほどだ。富士の雪解け水が透明度抜群の泉として湧き出る、いくつもの池を周遊できる有名な観光地区だ。ご夫妻にとっては、お揃いでのランニングコースに含まれるほどご近所で、周遊起点の浅間神社は日常的にお詣りするお社とのこと。とくに推奨するほどでもないといったお口ぶりだった。
 当日は日曜日、加えて地元のかたでもこれほどの富士はめったに眼にできぬというほどの好日和。周遊路の入口にすでに散策の人影が多数。
 ―― 平日の午前なんて、ひとっ子ひとり、いないんですから。私たちだけ、ネッ。
 とは早帆夫人の弁。夫君も頷いた。

水深8メートルの透明度。

 まず車で、少し離れた出口池へ。散策客の少ない閑かな風景。水温が低いのか、目の下五十センチの鯉がほっそりしていると思ったら、イワナだとのこと。渓流釣りをまったく知らぬ身ゆえ、イワナがこれほど大きくなる魚だったとは驚いた。周囲を廻って湧水口も確かめた。あたりの枝葉はすっかり秋の装いだ。
 浅間神社の駐車場へ戻って、いざ各池が集中する地区へ。季節にはいかにも菖蒲が咲き匂ってさぞ美しかろう池だの、鏡のごとく水面が滑らかな池だの、命名にそれぞれ由来がある。水流が通底しているものか、ある池に投じたものが別の池から浮びあがるとの伝説もある。
 いくつもの池が寄り集る中心地区には休み処と土産売場が並んで、年にいく度もない書入れ時なのだろう、ごった返すほどの賑わいだ。丹沢さんは恐縮の面持ちでしきりと先をお急ぎだったが、私は土産品売場を右往左往しながら、土地の産物や産業やお国ぶりをあれこれ想像するのは嫌いじゃない。アジアの外国語が繁く飛び交っていた。
 水は驚くべき透明度で、水深八メートルの底に洞窟のように口を開けた湧水口が鮮明に見える。今まさに湧き出たばかりの新鮮な水を魚も好むものか、そのあたりが魚で混雑している。だいぶ高くなってきた陽が、私たちの影をも底に落す。
 水中の鯉たちの影も底に落す。自分と同じ姿の黒いものが、自分に合せて移動するのを気味悪がらぬものだろうか。鯉は俯いたりしないのか。

 開店ほどなく満席になってしまうからと、近くのうどん屋へご案内いたゞき、早めの昼食となった。評判の竹輪天ぷら乗せで、うどんをいたゞく。
 昨日の昼も、肉うどんが評判の店にお連れくださった。この地方はうどん王国で、地元のかたがたも、とにかくうどん好きだとのこと。界隈に目立ったうどん専門食堂だけでも二十数軒あって、丹沢ご夫妻はすべて食べ歩き吟味されたという。その結果、これならばとのお墨付き二軒を、昨日今日でご馳走くださったわけである。ありがたい。
 特色は太く腰の強い麺で、その力あることと云ったら餅の細切りでも食うようだ。同じ山梨県内でも、甲府近辺のほうとうとは、また別のうどんだそうである。肉若布うどんも竹輪天うどんも、たいそう美味かった。

 急峻な山国ゆえ、先祖は田を拓くことが難しかったことだろう。いきおいこうした食文化が根付き、発達したものだろう。信州人が蕎麦好きなのと同様だ。このうどんは、たしかに研究してみる値打がありそうだ。この地のうどんと甲府ほうとうとは別だと断言する丹沢さんの真意も、今の私には理解できない。ひょんな機会に、次なる課題を拾うもんだ。
 入店時にすんなり着席できたのは、私たちが最後で、正午前というのに店の前には瞬く間に行列ができてしまった。
 それにしても私としたことが、不覚にも「彦兵衛うどん」の竹輪天ぷらを撮影しそこねた。代りに暖簾前の風景。池とうどん屋とが、一泊二日のあいだに、わがレンズに人影が写りこんだわずか二カットである。