一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

とりあえず



 なにかにつけて押詰ってきた。とりあえずは、という想いで、日々を過しているが。

 つねならぬ進路をとった超大型台風が接近するとの予報に、なんの手立ても講じていないボロ家の住人としては不安の面持ちだったが、さいわいなことに台風は直前で急カーブしてくれたらしい。時おり雨混じりに吹き来る風はむしろ心地好く、連日このていどの陽気であれば助かるのにとすら思えた。
 ラジオでは、旅客機が飛ばぬ新幹線を減らすとのニュースが続いた。広い範囲では、なるほどさようなのだろうが、わが身辺にあっては、狼が来るぞの前触れに了って、助かった。

 郵便受けに目立つ黄色のビニール袋が投じられてあった。はて?
 わがメインバンクたる信用金庫の外交担当氏が、手づから投じてくださったものらしい。そういえばこの袋の色に視憶えがある。中味は一流百貨店の包装紙に包まれた小荷物と封筒だった。封筒にはメッセージカード、つまり私への誕生日プレゼントである。

 SNS などへの登録やらアカウント設定のさいに、生年月日の記入を求められても、生年(つまり年齢)のみを記入して、月日(つまり誕生日)は不記載を通してきた。「~さんのお誕生日です、お祝いのメールを出しましょう」なんぞという余計なお世話の告知が気持悪いからである。
 いや、人さまのお誕生日をお報せくださるぶんには、べつに迷惑ではない。ただ同じように自分の誕生日が人さまに報されるかと想像すると、恥かしくてワァーと叫びたくなる。「おめでとうございます」なんぞというメールを、いただきたくはない。

 とはいえ秘密にすべきことでもないから、職場だの区役所だのへ提出する正式書類には、嘘偽りのない生年月日を記入する。記入したところで、職場だの区役所だの、健康保険組合だのクレジットカード会社だの、かかりつけの医院・病院などからは、「お誕生日おめでとうございます」などとは云ってこない。
 唯一の例外は、地元密着型のきめ細かいサービスを旨とする信用金庫である。毎年なにがしかのプレゼントをくださる。ごく小口の預金者に過ぎない。それに活発に出し入れするでもない一番小さな貸金庫をひとつ、借りっぱなしにしてあるだけの取引だ。気が引ける。「先日はご丁寧に、ありがとう」と、近日中にひと声かけに赴かねばならない。


 くださるお品は、毎年異なる。今年は「綿雪のようなタオル」二枚組だ。相手が男でも女でも通用するような、色の組合せだ。肌触りが快適な、という商品名なのだろう。すぐに溶けてなくなる、という意味ではあるまい。
 品選びには、顧客サービス担当のどなたかが知恵を絞ってくださるのだろう。あるいは支店の業務ではなく、本店のどこかの部署で選定した品物を有名百貨店へ一括発注して、各支店からの要請数に応じて配布するのかもしれない。全支店となれば、とんでもない顧客数となろうから、単品では小物商品でも総額ではたいした仕入金額となるのだろう。百貨店の営業担当と信用金庫の仕入れ担当とのあいだで、きびしい商談やら駆引きやらが繰広げられた結果として、この汗拭き用小型タオル地ハンケチ二枚が、私の手許に届いたのかもしれない。さように考えると、よくぞ拙宅までやって来たと、ハンケチに声をかけてやりたくもなる。

 金融機関とのお付合いのピークは、とうに過ぎた。預金もこれからは減ってゆく一方だろう。帳尻がゼロになるころに、上手いこと死ねたら最高なんだがと、虫の好いことを夢想している。が、目論見どおりに事が運んだことなど一度もなかった人生だ。きっと予想外の展開にあたふたとするにちがいない。刻一刻とさような日が近づいているような気がしている。
 台風一過の東京は、またも三十七度の猛暑予想だという。とりあえず、汗拭き二枚は用意できた。