一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

平民

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戸川秋骨『隨筆 文鳥』(大正13年6月、奎運社)


 刺身を食して、魚はまずまずなんだが、惜しいことに包丁がいけないと云い当てるかたは、たまにはあろう。が、包丁を研いだ砥石の良し悪しまで、刺身の味から指摘した人が、江戸にはあったという。
 また京都には、賀茂川から柄杓で水を汲むさいに、流れに沿って汲んだ水で沸した茶と、流れに逆らって汲んだ水で沸した茶とを、茶の味や香りから、味わい分けた茶人があったという。

 いずれも戸川秋骨の随筆集『文鳥』に見える。秋骨の所見は、こうだ。
 ――嘘のやうな話であるが、若しそんな人があつたとすれば、それは不幸な人に違ひない。趣味性がそれほど鋭敏になつては恐らく苦痛であらう。
 ――凡そ智識が苦悩の始めである事は誰れも承知して居る、何事も幸ならんと欲すれば自覚せざるに限るが、趣味に於ても同様であらう。

 秋骨の平民主義ともいえそうな洒脱さの面目躍如だが、なぁに、この人、けっこうな粋人だ。ただし贅沢なもの、高価なもの、有名なものを好む気配はまったくない。ありふれたものに、たゞ上手に接した。
 ちなみに島崎藤村の自伝的青春回顧小説『春』において、北村透谷をモデルとする主人公青木の周囲に集う若者たちのうち、藤村自身をモデルとする岸本は有名だが、あと三四人の青年たちがある。その一人が、戸川秋骨である。

 英文学者・翻訳家としての本職以外に、能の鑑賞文もある。文人にして能の見巧者といえば、すぐに野上豊一郎が思い浮ぶ。野上の能評と秋骨の能評、なるほど、漱石山房自然主義とでは、たしかに異なる。

 小説家の阿川弘之さんは、志賀直哉を師と仰いでいらっしゃったから、白樺派の文豪たちはさしづめ、阿川さんにとっては師匠筋の叔父貴といった感じだったろう。ある時こんなふうにおっしゃった。
 ――里見弴先生は、たいそう食通でいらっしゃって、美味いものにこだわり、味によく気の付くかただった。いっぽう武者小路実篤先生は、全然こだわらない。なんでもいゝんだ。そこにあるもので腹が一杯になればご満足。そんなふうだった。
 ――味覚が文学に関係あるかとなれば、文学の高さ・価値という点では、いっさい関係ない。たゞ小説の彩りという点では、いささか違いは出るだろうねえ。

 ここでも武者流無頓着かと、感服した。武者小路実篤の馬鹿一もので、慌てて駆けつけ玄関に下駄を脱いで上った主人公が、帰るときには平気で靴を履いて帰ったりする。その後の文庫でも全集でも、訂正していない。桁外れなこだわりなさだ。こうまでされると、巨大な野放図に大自然への畏怖のような感情が湧き、お辞儀したくなってしまう。
 戦争末期、作家たちはおしなべて手足をもがれ、ひたすら息を詰めているしかなかった。しかし武者小路実篤のみはどこからも弾圧を受けることなく、『桃太郎』なんていう作品を平然と書いている。
 高見順が読んで、あゝまだこゝに文学がある、と云って、さめざめと泣いたとの逸話も残っている。

 こだわりと、こだわりなさと、こだわりなさへのこだわり。貴族性と平民性との、本当の在りどころ。老人一個の身の処しかたとして、簡単には片付かない問題が、こゝにある。