一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いづれが

いづれがと問はず遍照夏のみち。

 いかに用向き外出のついでとはいえ、隣街の浅間神社にお詣りしたくせに、菩提寺さまは後回しなんぞということが、あるもんじゃない。しかもこちらさまにも、先延ばしにしてきた用件があるのだ。

 まずは江古田まで行き、雪華堂さんで水羊羹を包んでもらう。お供え用包装紙のご用意はないものの、ご仏前用の紐があるというので、掛けていたゞく。その間に、店長さんと無駄話。
 「昔、赤坂の雪華堂さんで、午前中に甘納豆が売切れてしまうんで、開店前から行列するということが、ありましたですね」
 「お客さん、そういう栄光の時代を憶えておられても……」
 それぞれに笑った。芝居の楽屋見舞いなどでは、ことのほか歓ばれたものだった。

 わが駅へと戻り、花長さんへ。旦那さん本日お留守。お店番はおかみさん一人だった。墓前用の花一対を見つくろっていたゞく。長年のお付合いで、色の取合せの好みなどは、ご承知くださっている。
 父は、真っ赤でありさえすれば、なんでも好かった。カーネーションだろうがパンジーだろうがダリアだろうが、草花のみならず木瓜だって夾竹桃だって、どぎつく赤ければ上機嫌だった。
 母は紫系統。濃紫から藤色まで、紫の系統はたいてい好きだった。衣服や布物となれば、藍を好んだ。
 藍色でさえあれば、だいたい美しく見えるという、私の偏った色彩嗜好は、母から来ている。

 金剛院さまでは、まず庫裡へ顔出し。お供えをお願いする。考えるところあって、今年の水羊羹は虎屋さんでなしに雪華堂さんにしてみました。さて、いかがでございましょうか。
 おせがきのお打合せ。来月ともなれば早々に施餓鬼会である。彼岸との通信やりとりだ。父ぶんと母ぶん、二本のお塔婆をお願いし、お布施に添えてお塔婆料も済ませる。その後ほどなく盂蘭盆会ではあるけれども、拙宅は田舎出の新参者につき、例年どおり旧盆で勝手にやらせていたゞくとお断り申しあげる。
 せっかくお邪魔したから、墓参りも兼ねようと、お線香とお水をいたゞく。

 ご本堂裏手の霊園への道には、いつもながらの六地蔵。七体が並ぶ。なん体おられたところで、かまうものか。
 もとは農村のあちこちに散らばって、別個に付近の村民から慕われていた地蔵がただろうが、村の近代化や道筋の整備改変にともなって、金剛院さまへと参集してこられたに相違ない。お齢もまちまちで、彫りこまれた年号が異なる。
 陽気が変ってきたからだろうか。頭巾も前垂れも、取換えられて新しくなっている。

 墓参りを了え、毎度のように大師さま銅像を一周してから退山しようとすると、足元には夏の花ばなが。
 アヤメ、カキツバタハナショウブ、いわゆるアイリス系の花ばなが、私は好きだ。

 花というものはおしなべて、真円に近づこうと進化してきた。いかなる植物も、原種に近いほど花弁が細く、隙間が多い。進化するにつれ、また人間の手が入って高度な交配種となるにつれて、完成形の円に近づく。
 アイリス系も然り。一見したところ、円形の花とは称びにくい姿に見えるが、じつは反ったり垂れさがったりする花弁の各頂点を、見えない点線で繋いでみると円形である。しかも凄いのは、真上から俯瞰しても、真横から眺めても、円形に近い。それでいてちょいと見の肉眼には、隙間だらけの独特不定形な姿に見える。

 冷静に遠見すれば完成度高く、個別一花に接近して眺めれば、ひとつとして同じでない自由な乱調と見える。やゝねじくれた完成概念とも申せようが、芸術や文学を考えるに欠くべからざる美意識であることは確かだ。