一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

塊として


 横光利一の初期短篇『静かなる羅列』(大正十四年、『文藝春秋』)を読み返す人など、今ではほとんどないのかもしれない。

 インド地図をつぶさに眺めた人は、インダス川ガンジス川の水源は、これほど近くに発していたかと驚くことだろう。中国地図をつぶさに眺めた人は、黄河と長江の水源は、これほど近くに発していたかと、呆れることだろう。横光利一もおそらくは、これに気づいたにちがいない。
 とある山岳地帯を襲った豪雨が、わずかの加減で分水嶺のあちらへ下ればインダスとなり、こちらへ下ればガンジスとなる。むろん途中で幾多の支流を糾合しつつではあるけれども。

 Q 川の上流と S 川の上流とは、ほど近くを流れていた。横光は故意に固有名を匿した。紛らわしく感じる読者は、旧川と新川とでも記憶しておいてかまわない。旧川は峩々たる岩場を貫く急流で、始終川霧が立ち、人が住まなかった。新川はゆるやかな流れで中流下流域には人が住みつき始めた。
 新川中流域には王朝が形成され倒され、新たな王朝が形成されまた倒された。前王朝の血筋は皆殺しの目に遭ったが、一部は逃れ、人跡未踏の旧川上流の隠れ里に住んだ。そこで麗しき伝統習俗を、かろうじて保持した。
 それらを漏れなく目撃していたのは、天空に輝く北斗星のみであった。

 旧川の浸蝕力は凄まじく、分水界を穿って、新川の支流を糾合してゆき、河口に広大な三角州を形成するに至って、ようやく流れは穏やかになった。新川河口の三角州は格段に規模が小さかった。
 旧川の山岳民は巨大で肥沃な三角州へと降りてきた。王朝の末裔たちはすでに、先祖の無念も怨念も忘れ果てていた。新川流域民を圧迫し始めた。新川三角州には城が造営された。旧川三角州にも城が建った。上流では水源確保をめぐって、長いながい戦いが続いた。相手の流れをわがほうへ導くために、石垣を築いたり、取除き交渉が繰広げられたり、破壊活動が起ったりした。

 乏しい水源を活用すべく、新川流域民には掘削や治水の技術が発達した。旧川流域民は軍事力を頼みとした。新川流域民は旧川流域民の支配下に置かれ、新川城は旧川城の出先機関とされた。おびただしい数の旧川民が移り住むようになった。混血も進んだ。
 双方の領主や豪族が長年の戦闘に疲弊する間に、権力には興味を示さず蓄財にのみ貪欲だった商人たちが、いつの間にか力をつけていた。
 領主も豪族も滅ぼされ、新形式の王朝が復活した。陰で支えたのは、商人たちの財力だった。旧川民と新川民とはひとつの国となった。商人たちはますます力をつけ、みずからは手出しせずとも、金の力で工場を建て、機械や材料を調達し、人手を駆り集めた。両川河口の三角州地帯には工場が林立した。港では海外との交易も盛んとなった。両三角州は立体的な街となった。

 人手とされた人びとはやがて、自分や家族のためでなく、商人たちの蓄財のためにわが命を擦り減らされていると気づき、訴え始めた。
 反抗、武闘、破壊……。もろともに滅んだ。両三角州は、かつて立体的だった残骸だけを残し、もとの水平に戻った。
 それらを漏れなく目撃していたのは、天空に輝く北斗星のみであった。

 当時流行のただ中にあったプロレタリア文学運動に対する、横光なりの距離感の表明であることは明瞭だが、その件は指摘され尽したので今は措く。
 『静かな羅列』には人名地名ほか、固有名詞はひとつも登場しない。すべては塊(かたまり)の動向として描かれる。自然発生的な古代王朝から強大権力集中した中世型帝国、分割支配の近世型封建制から近代産業資本支配まで、あまつさえその矛盾頽廃と内部分裂による全的滅亡までを、黒ぐろと太い輪郭線をもって辿ってある。
 近代小説の常識から申せば、これは粗筋書きであって、もしくは前説であって、小説はここから始められるべきものだとされるだろう。その批判、もっともである。

 もっともではあるが、この作品の暗示性は今なお価値を失っていない。ことの発端は両河川の相違にあった。地形、岩石や土壌の性質などの自然条件にともなって、人間がいかなる動向を見せたかという点にあった。しかもいっさいは、天空はるか高みから北斗星が眺めた光景として描き留められた。人間、この微小なるもの、と云ってしまえば、抹香臭い法話めくが、それとはやや異なる。
 植物生態学に云う遷移(サクセッション)の概念に近い。大地はもと岩石と砂漠だった。そこでも生きられる微生物や蘚苔類が発生する。その死骸が堆積して泥土を形成し、草本が生える。やがて広葉樹が出現し、葉を降らせて土壌を豊かにし、針葉樹が発生する。針葉樹は他植物から陽光を奪い、葉を落とさぬから土壌を枯らす。針葉樹の寿命倒木とともに、大地は砂漠へと還るといった、壮大な周期的自然推移のことである。

 暗示性のもう一点。固有名詞を排して、塊を黒ぐろと太線で区切り、それを北斗星から眺めて見せたということは、輪郭線と面と色とをもって画面を再構成する、美術におけるキュービズムの着眼を、文学に援用するとどうなるかという問題について、横光なりのひとつの提示がここにあると考える。
 カギカッコに収まった「近代文学」にどっぷり浸かって、その範囲内で生涯を了えようと、私は心掛けている者だけれども、もっと先まで往きたい向きは、当てずっぽうに現代だ超近代だとおっしゃる前に、百年前のこんな実験を検証なさってはいかがかと、思わぬでもない。