一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ところで×2

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『地の群れ』ATG機関誌(パンフを兼ねる)とチケット半券。熊井啓監督作品(1970.1.)

 慎重に考えたら何も云えなくなってしまう。それは不誠実だ。チャランポランに考えてこそものが云える。それが誠実というものだ。

 映画『地の群れ』の原作は井上光晴の同名小説。この作家と作品については、こゝでは語らない。戦後(昭和後半)文学史においてあまりに重要な作品につき、ことのついでに語れるような作品ではないからだ。

 長崎県佐世保で、少女強姦事件が発生した。診察した医師とその家族を軸に、背景があぶり出されてゆく。
 海沿いのじめじめした埋立て地域。荒涼として町の整備計画も手つかずのまゝで、貧しい人びとの巣窟と化している。ケロイドを隠し、肉体の不調を抱える原爆被爆者たちが、寄集って暮している。付近には、古くからの被差別地区がある。また在日外国人たちも暮している。米軍基地もある。刑務所もある。それでいてカトリック教会もある。

 日本のおゝかたが戦後復興を謳うなかで取残され、それどころか蓋をされ見捨てられ、しわ寄せとも犠牲ともなってきた、猥雑性と聖性とがゴッタ煮になった地帯だ。
 貧しき者・弱き者たちは、互いに身を寄せ合い助け合うか。そんなことはない。反目し合い、差別し合う。そんな中で、被差別地区の可憐な少女が、被爆者集落の青年から強姦される事件が起きた。怒りはいずこへ向かってゆくか?

 被害娘の母は身の危険をも顧みず、日ごろ余人が足を踏み入れることなどありえない集落へと、単身で怒鳴り込みにゆく。
 ――あたしたちが部落なら、あんたたちは血のとまらん腐れたいね。あたしたちの部落の血はどこも変らんけど、あんたたちの血は中から腐って、これから何代も何代も続いていくとよ! 嫁にも行けん、嫁もとれん! しまいには、しまいには……

 劇団民藝にあって、幾多の激しい台詞を口にしてこられたろう北林谷栄さんだが、これほど凄まじい台詞は、他にあったのだろうか。
 この母がいかなる目に遭ったかは、これから作品をご覧になる、また原作小説を読まれるかたのために、お預かりしておこう。
 さらには被害者の娘自身が、母の身に降りかかった顚末を引起した元凶は、加害者たちというよりも、じつは我が集落の古老たちの意識だと気づいて非難する場面は、今もって深く深く考えさせられる。

 ところで『地の群れ』原作にも映画にも、今では使用に細心たらねばならぬ語や言回しが、たくさん出てくる。いわゆる「炎上」の突込みどころ満載である。
 が、言葉に罪はない。言葉狩りはナンセンスである。臭いものに蓋をしたところで、我ら庶民の性根が改まるわけではない。それどころか、考えて気づくきっかけを失ってしまうことにすらなりかねない。
 じかに対面する相手を気遣う場合以外は、私はチャランポランでゆく。

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 被害に遭った少女を演じた準主役の紀比呂子(きのひろこ)さんはこの時、まだデビュー間もなかった。テレビドラマ数本に顔を出していた程度ではなかったろうか。
 目鼻立ちのくっきりした聡明そうなお顔立ちで、色気とか女性らしさというよりは、さっぱりと清潔な感じの少女だった。
 三條美紀さんの娘さんだ。お母さんも、眉毛に賢さが滲み出るような、独特な眼ぢからを失わぬ女優さんだった。それでいてお齢を召されてからも、中年女性の知的な色気が匂い立つようだった。時代が違うと申せばそれまでながら、色気という点では、お若い娘さんより、お母さんのほうが上だった。

 だがこの娘さんは、熊井啓監督から大役に抜擢された直後から、テレビドラマの当り役が続き、あっという間にお茶の間人気抜群の娘女優となった。文句なしに、息子の嫁にもらいたい女優ナンバーワンだった。
 それから十年ほどで、もう存分に仕事したとの思いだったのか、結婚を機にあっさり引退してしまわれた。惜しむ人はさぞ多かったことだろう。

 ところで、紀さん主演のドラマにあって、そのお友達という役どころで、ちょこんと出てくる若手女優さんがあった。紀さんに較べると、たゞ笑顔が可愛いだけの、まだ摑みどころのはっきりしない新人女優と、観られていたかもしれない。
 いやいやいや、この娘のほうがいゝんじゃねえのと、例によって脇役探しが趣味の私は、密かに記憶し、その後を注目した。
 案の定、彼女はその後も息長くお仕事をされた。今の池上季実子さんである。べつに自慢げに申すことでも、ないけれども。