一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

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 十日ほど前に書いたはずなのに、まだブロンズ・カウボーイの動画を観ている。
 彼は通常土曜日ごとに動画アップするそうだ。二〇一四年からの動画が拾えるところをみると、ウェブ上にいったい何百の動画が浮んでいるものか、数えられない。しかたなく、高評価ボタンをクリックして、未見動画と一度観たものとを識別できるようにしている。
 いかほどの腕前をもった、いかなる芸人さんかは、とうに承知した。飽きないのは原則一回限り登場して二度と現れない、観光客たちである。

 アリゾナ州、オールドタウン・スコッツデイルという街らしい。州都フェニックスからやゝ北に位置するスコッツデイルは、最新設備のホテルからゴルフ場まで完備した、大きな近郊リゾート地だという。その外れにオールドタウンという観光風致地域があって、西部および南部の旧い街並みを愉しめる一画があるようだ。
 レストランやカフェの造りも、わざわざ古風に統一されており、土産物店が並び、郷土博物館らしき施設も見える。のどかなバスが地域内を循環し、稀には馬車まで見える。日本の歴史観光地に人力車が辻立ちしていたりするのと同じだろうか。

 いかに多民族国家アメリカ合衆国とはいえ、動画に登場する観光客たちがあまりに多彩であることに眼を視張っていたのだったが、アリゾナと知って得心がいった。
 アリゾナといえば、カリフォルニア南端の東側に隣接する州だ。そのさらに東はニューメキシコ州、またアリゾナの南は国境で、メキシコに接する。つまりアメリカのなかでも、ことに多民族性の際立った地方なのだろう。

 西部劇に心躍らせた少年にとってアリゾナといば、ガラガラ蛇の名所だった。メキシコへ逃れようとするおたずね者を追って、賞金稼ぎのガンマンがやってくる。テントどころか満足な敷物の持合せすらない。馬の鞍やら水筒やらを枕に、木陰で寝ていると、荒地にちょろちょろ生えた藪の中から、貝殻を擦り合せるような気味悪い音が近づいてくる。危機一髪、拳銃をぶっ放して蛇の頭を粉々にする。そんな場面を何度観たか知れない。

 今では州都フェニックスは人口において、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスをもはるかにしのぐ、全米一の大都会だ。その近郊に、テーマパークのような一画があるということらしい。
 土産物屋の店頭には、メキシコ風の柄や色合いの衣類や布類が積上げられ、先住民族風のアクセサリーがぶら下っている。歩き回る観光客も、白人・黒人・先住民族系・メキシコ系、それにアジア系の姿もある。ドッキリ! を仕掛けられて思わず「あゝびっくりした」と呟いて歩み去る客もあった。これらの人びとが驚いて絶叫する姿、身を揉んで笑い転げる姿、感動したり悦んだりする姿が、観ていて飽きない。

 ある出版編集者に急用が発生して、待合せ場所に横光利一を一時間も待たせてしまったことがあったそうだ。駅だか百貨店だかの階段脇だった。いかに温厚な横光先生とはいえ、さぞやオカンムリに違いなかろう。きついお叱りを覚悟して、息せき切って駆けつけた。ところが横光利一は近くのベンチに平然と腰掛けて、階段を降りてくる人並みを、一時間ずっと眺めていたそうだ。
 「君ぃ、人間の顔というものは、じつにいろいろあって、飽きないもんですねぇ」
 その日、打合せのあいだじゅう、横光はしごく上機嫌だったという。

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 ひととおりでない人生を歩んできたことだろう六十歳前後のご婦人も、驚き、笑い弾ける瞬間には、初めてボーイフレンドとデートしたときと、たぶんあまり変らぬ表情を見せる。
 笑いとは不思議なものだ。そして横光利一の云うとおり、人間の顔とは、じつに飽きないものである。