一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

処分のまえに

先師がた

遡って水源を確かめたいと、しきりに思う齢ごろがあった。若き日の情熱というもんだろう。今の若者たちにも、さようであって欲しいと願うばかりだ。 こんなものまでとも思える書を、古書店で漁ったこともある。ご定年を迎えられてご蔵書整理に腐心される恩師…

手堅い仕事

いったい何に夢中だったんだろうか。 地味ながら丁寧な仕事に、妙に憧れた時期があった。四十代だったろうか。へそ曲りな逆張り精神とでも申すべきか。血まなこになって古書店を歩いた作家の一人が、柏原兵三だ。 とはいえ江戸期以前の古典籍を漁るわけでも…

暗かったころ

立松和平の本が手許にあんがい少ないのに驚いた。初出雑誌で眼を通してしまい、単行本刊行のさいには、ま、いいか、と思ってしまった場合があったと見える。 初めて会ったのは、『早稲田文学 学生編集号』が発行される数か月前のことだ。第七次『早稲田文学…

半家出人

家に帰らぬ日はたびたびあった。が、家出したことはなかった。 一九六〇年代後半から七〇年代へかけて、演劇界に地殻変動が起った。(伝統芸能としての古典演劇の世界については、私は知らない。)小劇場運動である。 一方では既存の新劇劇団内部において路…

身辺近代史の終り

ナンバースリーの値打ちということを、しきりと考えた年頃があった。会社員だった時期だ。 周恩来の人柄についての、称賛の弁は多い。風貌・物腰・表情からも、世界に好印象を振撒いてきたにちがいない。毛沢東には田舎のトッツァンめいた、頑丈で剛直な人と…

遠見から

お見かけしたことはあっても、ご縁があったとは申せぬ作家たちがある。 文藝春秋の雑誌で黒井千次さんが「学生たちに聞く」という企画があって、その「学生」の一人になったことがある。一九六九年か七〇年のことだ。黒井さんはまさに売出しの新進気鋭作家だ…

女性作家たち

作風と個性、ともに印象強烈が女性作家たち。じつのところ、私なんぞに理解できるのだろうか? 笙野頼子さんがデビューなさったころ、私は地方新聞に読書案内の連載コラムをもっていた。無愛想でゴツゴツした手触りの、重みのある新人が登場したと感じ、採り…

豚の尻

だれの詩だったか。豚の尻同士がゴツンゴツンぶつかりながら、トラックに揺られてゆく詩があった。名前まで付けて気を配って育ててきた豚を、時期が来たら出荷せねばならぬ、畜産農家の実情が詠われてあったのだろうか。 昨夜遅く、古書往来座のご店主から電…

学との別れ

小杉一雄の著作を蒐集した時期があった。中国美術史、仏教美術史、日本古代美術史、文様史を横断する、東洋美術史入門の講義を授かった恩師である。 細身に格子柄のジャケット、時には蝶ネクタイ。お洒落な老教授だった。白以外に黄と赤だったか、二種類ほど…

任ではない

この人の作品を語るのは、自分の任ではないと思える作家がある。 四十二歳のとき、ワーレンベルク症候群という若年性脳梗塞の発作を起して、一か月ばかり入院した。今はないが、飯田橋にあった日本医科大学付属第一病院だ。危険な時期を脱してリハビリ以外に…

最終戦後文学

井上光晴作品をすべて読破してやろうと、企てた齢ごろがあった。挫折・棚上げのままに了ったけれども。 年齢で申せば、吉行淳之介・安部公房・吉本隆明より二歳下で、三島由紀夫より一歳下だが、井上光晴の作風も題材も、より上の世代のいわゆる「第一次戦後…

悲傷の文学

高橋和巳が男子学生から競うように読まれた時代があったなんぞということを、現代の若者はおそらく信じまい。全共闘世代の一部学生にとっては、教祖的魅力をもった作家だった。 最初に『憂鬱なる党派』を読んだ。話題の新刊だったという偶然に過ぎない。党派…

浪漫へのためらい

短い期間だったが、サン=テグジュペリに関心を抱いたことがある。といっても、大ブームに浮かされて『星の王子さま』に夢中になったわけではない。異様なまでの大空への憧れ、飛行機を偏愛する心の奥底を覗いてみたかったのだ。 西欧と南米とを往来する郵便…

うしろ髪

未練なく諦めがつく本と、うしろ髪引かれる本とがある。文学的評価とは関係ない。内容の稀少度(いわば文化的価値)とも市場価格とも関係ない。 『中野重治全集』第七巻第八巻を古書肆に出す。巨篇『甲乙丙丁』収録巻だ。もともとそのつど個別買いした不揃い…

語り継がれるべき

語り継がれねばならぬことというものは、やはりあるのだろう。 リテラシーなんぞという言葉を、学生時代には知らなかった。外国語に堪能なかたは、お使いだったのだろうが、少なくともメディア用語としては、登場していなかった。今では、私ごとき一知半解の…

道具の違い

莫言(1955 - )。2012年、ノーベル文学賞を受賞。授賞理由は「幻覚的なリアリズムで民話・歴史・現在を融合させた」功績による。 最初に莫言を知ったのは、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画『紅いコーリャン』の原作者としてだった。衝撃的な赤色を効…

落ちゆくさき

放置されてきた物置から。 父には蔵書を整える趣味がなかった。読み了えた本はおおむね処分された。ともすると再読または参照の機会が訪れるかもしれぬと判断したものだけが、かろうじて書架に置かれた。文字どおり「置かれた」のであって、並べられたという…

歌のわかれ

『斎藤茂吉全集』全36巻(岩波書店、1973 - 76)。 宇野浩二の神経衰弱がひどくなって、だれの眼にも療養が必要と瞭かになったとき、夫人から相談された広津和郎はまずもって、青山脳病院の斎藤茂吉院長に往診を依頼した。他の往診先の帰途、こころよく立寄…

ソルジェニツィン

アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニツィン(1918 - 2008)。 高校高学年のころ、ソルジェニツィン作品が翻訳刊行され始めた。『イワン・デニソビッチの一日』が代表作とされた。大学に入学した年に最初の長篇翻訳『ガン病棟』が刊行された。「二十…

御大ontai

『丹羽文雄作品集』全九巻〈八巻+別巻〉(角川書店、1957) 文学史にも芸術論にも、時局にも世相にも関心が失せた晩年には、丹羽文雄作品を読んで過すのがよろしいのではないかと、思っていた時期があった。生立ちや家族の宿命も、男女関係の底なし沼も、超…

古学断念

『深田康算全集』全四巻(岩波書店、1930 - 31) 唐木順三だったか久野収だったか、記憶が判然としないが、ともかく京都学派の空気を浴びて育った論客による、肩の凝らぬ回想文だったか対談記録だったかで、読んだ記憶がある。 高名な京都帝国大学文学部哲学…

次なる時代

お作を通して、ずいぶんいろいろ教えていただいた気がする。それでも私は、この作家にとって好ましい読者には、一度たりともなれなかった気がしている。 島田雅彦さんが『優しいサヨクのための嬉遊曲』で登場したとき、読みもせぬうちからその題名に圧倒され…

トーナメント

未来についての空想絵図を描けなくなった老人は、記憶をもてあそぶことに偏執的となる。それも探求だの細部の詰めだのではなく、かすかな想い出を繰返しなぞるだけの堂々巡りに終始することが多い。自慰的であり非生産的このうえもない。 書架整理なんぞとい…

送り火に添えて

送り火の焚きつけとして、燃やしてしまおうかとも思った旧蔵書がある。しかしただ今では、へたに煙なんぞ立てようものなら、どこからか通報されて、消防車が飛んで来ないとも限らない。 母が療養専一の暮しになって、植物採集のハイキングはおろか買物にさえ…

多様にひとつ

「アジアは一つ」という岡倉天心の言葉が切取られて誤解され、独り歩きしてしまった噺は有名だ。 東南アジア各国の小説に興味を抱いた時期があった。量においてはインドネシア作家の作品が圧倒的に多かったが、タイ・ミャンマー・ラオス・マレーシア・フィリ…

退出口

あくまでも当方事情と視定めねばならない。先方事情ではない。つまり評価だの想い出だのは、このさい度外視である。 文学史上の大家による過去の名作ならば、古書肆に出しやすい。同時代作家のお仕事として、刊行時に買って読んだ作品は、出すと残すの線引き…

寒蘭

ふと話題が途切れたときの酒場カウンタートーク。いわゆる「アッ、今天使が通っていった」とき、お気に入りの花は? といった話題になることがある。いい齢して「野菊の墓」チック~ゥ、なんぞと自嘲しながらも、これがけっこう盛上ることもある。 面倒な説…

世過ぎの文

吉川英治『私本太平記』全13巻(毎日新聞社、1959~62)定価各260円 吉川英治の時代というものが、たしかにあったようだ。徳川無声の語りによる『宮本武蔵』ラジオ朗読番組放送時間には、銭湯ががら空きになったという伝説は戦前の噺だ。戦後になっても、出…

インドネシア

ふと思い出して、読み返したくなることがきっとあろう。が、読み通す体力はあるまい。古書肆のお手に委ねることになろう。 プラムディヤ・アナンタ・トゥールはインドネシア文学の第一世代を代表する作家た。年代的には、安部公房・吉行淳之介・三島由紀夫・…

古戦場から

『佐野學著作集』〈全5巻揃〉佐野学著作集刊行会 編(1957.9 ~ 58.6)定価ナシ。奥付には「特に会員のみに配布」と明記。 もはや読返す体力も時間も、残されてはいまい。隣室へ移動するにさえ、手順足運びに気をつけねばならぬゴミ屋敷にあって、障壁や足…