一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

2023-01-01から1年間の記事一覧

玉子因果

10月30日/11月6日/10日/12日 11月15日/17日/19日/21日 11月23日/25日/28日/30日 少しは巧くなりたかったのである。で、このひと月、ひたすら玉子を焼いたのである。その結果、お世辞にも巧くなったとは、云えないのである。 二十年来、一日の玉子摂取は一個…

回してちょうだい

「ご町内」という語があんがい好きである。 今年のさていつごろからだったか、回覧板の材質が変った。カラー印刷された光沢紙をボール紙の芯に巻いた従来のものから、樹脂芯の表面をラミネート加工したものになった。芯も表面も、石油製品となったわけだ。傷…

残りの大根

知らないということは、処置のしようもないもんだ。 「大根の天ぷらが、好きでしてねえ」 「あぁ、ありゃあ美味いですもんねえ。あたしも大好きですよ」 ネット上で、ふと耳にした会話の一節だ。思わず耳が尖った。寡聞にして「大根の天ぷら」というものを知…

カレンダーの師走

来年のカレンダーを頂戴すると、いよいよ歳末到来との気分になる。 会社員時代、および看病・介護時代には、玉カレンダーを壁に掲げてあった。全面格子にひと月分の玉(数字)だけを大きく印刷した、表紙を含めて十三枚つづりの、小ざっぱりデザインによる大…

冬の陣

いただきものをする季節がやってきた。かたじけなくもあり、悦ばしくもある。やれやれふたたびこの季節を迎えられたかとの、感慨もある。 先頭を切って、従兄からの郷里名産品詰合せである。野菜味噌漬けと海鮮甘酢漬けと、海草塩漬けと魚卵塩辛だ。それぞれ…

忘恩いくつか

佐古純一郎の文芸批評に注意深く耳を傾けていた時期がある。 早稲田だ三田だ赤門だといった文学青年街道を歩んだ人ではない。学生時代に亀井勝一郎の門を敲き師事した。海軍に応召し、対馬守備隊の通信兵として敗戦を迎える。戦後洗礼を受け、創元社や角川書…

ごっこごっこ

「もーいいかぁい」 ほかに人影のない児童公園に、黄色い声が響きわたる。五歳くらいの、度の強い眼鏡をかけた男の児だ。 本日のチャント飯。いつもどおり主菜なしのただただ品目重視だ。 ・粥飯(昆布・若布・生姜炊込み、トッピングは擂り胡麻・ちりめん山…

雲の秋

今年の十一月は酉の日が二回だ。昨日が二の酉だった。 年寄りが人混みへのこのこと出ていっても、人さまにご心配をおかけせずに済みそうな、久しぶりのお酉さまである。どなたにも声を掛けずに、独りで歩いてみようかと、楽しみにしていた。 新宿花園神社へ…

穴の目方〈口上〉

つねの日記に挟まりまして、番外のご挨拶を、ひとこと申しあげます。 ドーナツを数える単位は、なんでごいましょうか? 専門家がたの業界用語は存じませんが、一般庶民の慣習にては一個二個でございましょう。 ドーナツ一個の重さは、いかに数えたものでござ…

西洋思想? もういいや

大きなことを考えたり、決断したりすると、たいてい間違えるようになった。 修身斉家治国平天下と『論語』は云う。まずは自分の身を修めることからという意味だが、乱暴に云い換えれば、テメエの頭の上の蠅も追えぬくせしてデカイ口を叩くんじゃねえ、という…

雌雄異株

駅前神社の境内は、時あたかも紅葉の真盛りである。 紅葉といっても、陽を浴びて黄金色に輝く公孫樹が主役だ。大鳥居を入ってすぐの外宮にも、石段を五段ほど上った内宮にも、公孫樹の巨木が複数株づつある。紅や茶に色づく落葉樹はあまりない。桜や楓類はほ…

スタジオ

なんともむさ苦しい物置空間だ。これでもれっきとしたユーチューブ収録スタジオである。 ほぼ月一でディレクター氏が、革製トランクにぎっしり詰った機材をひっ提げて、ご来訪くださる。私は場所と声とを提供するだけだ。画像創りも音声編集もチャンネルへの…

辛味の正体

韓国風味の即席ラーメンを、お土産にいただいた。 商品名も裏面の調理法や成分表その他も、すべて日本語で表示されてあるところを視ると、日本人消費者向けに調整されたものなのだろう。袋の隅に黄赤ベタ白抜きで「ピリ辛」と、また別の隅には芋材料による「…

肉眼の粘り

熊谷守一美術館の外壁に彫られてある、逞しい蟻たちのうちの二匹だ。右の一匹は恥かしながら、ウェブ上での私のアイコンたる一朴蟻である。 「文化庁からお電話。なんでも文化勲章をくださるとかで、受取るかとお訊ねだけど、出てみる?」 「いや、いらない……

ボケ抵抗

些末な日常にかまけることを良しとして過ごそうと、心掛けている。 この夏、浴室の蛇口の水漏れがひどく、調べたらたんなる部品交換では済みそうになく、老朽化した配管の工事まですることとなり、思わぬ出費となった。そうまでして修理したのだが、じつは内…

感覚のごちそう

矢代幸雄の著書を処分したいのだが、あまりに想い出が多く、処分しきれない。 手許にあったところで明らかに宝の持ち腐れの専門研究は、手放すに容易だ。『西洋美術史講話 古代編』『東洋美術論考』『受胎告知』などである。しかるべきかたのお手許にあれば…

把握しない

ケネス・クラーク(1903 - 83)の訳書がこれっぱかりしか手許になかったかと、不思議な気がする。書店の棚で視かけると、いつ読めるか判らないけれどもいちおう買っておこうと心がけた、短い時期があった。もっとも、さような心がけを放棄して以降に刊行され…

復旧工事

甘く視てもらっては困る! 建屋西側、コインパーキングとの境界塀とのあいだが、雑草繁茂により長らく歩行困難通路だったのを、思い切って開通させた経緯を日記に挙げたのは、九月下旬だった。五十日ちかく経った。歩行困難というほどではまだないものの、む…

下ごしらえ

せっかくの到来物は新鮮なうちに、さっさといただいてしまおう。 好物にもかかわらず、めったに里芋を八百屋で買わぬ台所事情については、いく度も書いた。学友大北君のお心遣いのおかげで、珍しいものを口にできる。例により我流ヤマ勘仕立てではあるけれど…

油断禁物

上は昨年十一月十三日付の日記に用いた写真。下は今朝である。 歩道目安の白線のかすれが、着実に進行している。オイッ、そこじゃねえだろう! ブロック塀の汚れに、ほとんど変化が認められない。一年やそこらの汚れではないことを示している。オイオイッ、…

んもぉ緑で緑で

学友の大北農園さんから、大量野菜ご到来。添書きでは「ほんの少々」とのこと。お言葉ながら、それは畑に立って眺めたかたの云い分だ。独居台所にあっては、質量ともに存分の頂戴物だ。目下拙宅は、緑大臣である。 間引き大根だという。大北家では、間引くた…

前線の見識

永山正昭『と いう人びと』(西田書店、1987)。こういう本は、けっして古書肆に出したりはしない。 著者は海員組合でひと苦労したあと、「しんぶん赤旗」の編集部員だった。労働組合運動隆盛の戦後期にあってさえ、ひときわ激しかったとされる船員組合の逸…

昭和の塀

辺野古新基地の建設中止を呼掛ける、日本共産党のビラである。軍事基地および関連施設の七〇パーセントが、国土面積の〇・六パーセントを占めるに過ぎぬ沖縄県に集中するとして、これはいじめに相当すると、クラス中のランドセルを一人で背負わされるチビッ…

たった二週間

上は今朝、下は十月二十四日付の日記「念願の植替え」に用いた写真の使い回しである。 彼岸花の第一球根群を二分割して植替えてから二週間あまり経った。時期も技法もわきまえぬ無謀行動だから、この機会に枯れて消えゆく破目に陥っても文句は云えないと、覚…

時の陥没

記憶に粗密がある。回想に欠落部分がある。とある時期が、そっくり陥没してしまっているかのようだ。どなたにとっても、そういったもんなんだろうか。 NHK『ラジオ深夜便』に、懐かしいヒット曲をアンソロジー的に集め聴かせるコーナーがある。一時間枠だが…

気が変る

土壇場で、ふと気が変った。 藝祭の三日間は、じつに好天に恵まれた。残暑のぶり返しとも称べそうな陽気だった。気温を看ながら、季節相応のなりで家を出たのだったが、三日とも上着を脱ぐ場面が発生した。学内を散策して歩くうちに、インナーも肌着も汗に湿…

ほんの芸術ですが

芸術学部の入構口を進むと、守衛所脇の芝生の上に、岩石と木の板と、一部補助材としての鉄を使った、モユニュメントが立っている。題は『挑発しあうかたち Ⅱ』、一九七五年の作品だ。作者土谷武(つちたに たけし)はすでに他界されたが、美術学科彫刻コース…

戦力外

学友大北君から、毎年のご好意。蕪も生姜も、八百屋店頭で眼にするものより、格段に大ぶりだ。 藝祭二日目である。わが古研が無事に開店できたのを確認後、学内散歩に出る。かつての恒例を踏襲して、昨日は絵画と彫刻とを観て歩いた。今日は写真学科の展示を…

ウェハボールゴン

藝祭一日目。入場者制限も健康チェックもない、無規制大学祭は四年ぶりという。絶好の天候に恵まれた。 わが古本屋研究会による学生古書店「堂々堂」も、予定どおり開店した。仕入れのもようから品揃えの特色が毎年異なるが、今年は大量の『キネマ旬報』バッ…

イヌタデだろうか。紅とも赤紫とも断じがたい、珍しい花色だ。玄関前一帯に満開である。とはいえ人間の眼にはいっこうに目立たない。 今年は春と夏の草むしり時期が偶然効果的だったものか、地表がシダとドクダミとヤブガラシに覆い尽されてしまうということ…