一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

読み跡

浪漫へのためらい

短い期間だったが、サン=テグジュペリに関心を抱いたことがある。といっても、大ブームに浮かされて『星の王子さま』に夢中になったわけではない。異様なまでの大空への憧れ、飛行機を偏愛する心の奥底を覗いてみたかったのだ。 西欧と南米とを往来する郵便…

うしろ髪

未練なく諦めがつく本と、うしろ髪引かれる本とがある。文学的評価とは関係ない。内容の稀少度(いわば文化的価値)とも市場価格とも関係ない。 『中野重治全集』第七巻第八巻を古書肆に出す。巨篇『甲乙丙丁』収録巻だ。もともとそのつど個別買いした不揃い…

語り継がれるべき

語り継がれねばならぬことというものは、やはりあるのだろう。 リテラシーなんぞという言葉を、学生時代には知らなかった。外国語に堪能なかたは、お使いだったのだろうが、少なくともメディア用語としては、登場していなかった。今では、私ごとき一知半解の…

道具の違い

莫言(1955 - )。2012年、ノーベル文学賞を受賞。授賞理由は「幻覚的なリアリズムで民話・歴史・現在を融合させた」功績による。 最初に莫言を知ったのは、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画『紅いコーリャン』の原作者としてだった。衝撃的な赤色を効…

落ちゆくさき

放置されてきた物置から。 父には蔵書を整える趣味がなかった。読み了えた本はおおむね処分された。ともすると再読または参照の機会が訪れるかもしれぬと判断したものだけが、かろうじて書架に置かれた。文字どおり「置かれた」のであって、並べられたという…

歌のわかれ

『斎藤茂吉全集』全36巻(岩波書店、1973 - 76)。 宇野浩二の神経衰弱がひどくなって、だれの眼にも療養が必要と瞭かになったとき、夫人から相談された広津和郎はまずもって、青山脳病院の斎藤茂吉院長に往診を依頼した。他の往診先の帰途、こころよく立寄…

ソルジェニツィン

アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニツィン(1918 - 2008)。 高校高学年のころ、ソルジェニツィン作品が翻訳刊行され始めた。『イワン・デニソビッチの一日』が代表作とされた。大学に入学した年に最初の長篇翻訳『ガン病棟』が刊行された。「二十…

御大ontai

『丹羽文雄作品集』全九巻〈八巻+別巻〉(角川書店、1957) 文学史にも芸術論にも、時局にも世相にも関心が失せた晩年には、丹羽文雄作品を読んで過すのがよろしいのではないかと、思っていた時期があった。生立ちや家族の宿命も、男女関係の底なし沼も、超…

古学断念

『深田康算全集』全四巻(岩波書店、1930 - 31) 唐木順三だったか久野収だったか、記憶が判然としないが、ともかく京都学派の空気を浴びて育った論客による、肩の凝らぬ回想文だったか対談記録だったかで、読んだ記憶がある。 高名な京都帝国大学文学部哲学…

次なる時代

お作を通して、ずいぶんいろいろ教えていただいた気がする。それでも私は、この作家にとって好ましい読者には、一度たりともなれなかった気がしている。 島田雅彦さんが『優しいサヨクのための嬉遊曲』で登場したとき、読みもせぬうちからその題名に圧倒され…

トーナメント

未来についての空想絵図を描けなくなった老人は、記憶をもてあそぶことに偏執的となる。それも探求だの細部の詰めだのではなく、かすかな想い出を繰返しなぞるだけの堂々巡りに終始することが多い。自慰的であり非生産的このうえもない。 書架整理なんぞとい…

多様にひとつ

「アジアは一つ」という岡倉天心の言葉が切取られて誤解され、独り歩きしてしまった噺は有名だ。 東南アジア各国の小説に興味を抱いた時期があった。量においてはインドネシア作家の作品が圧倒的に多かったが、タイ・ミャンマー・ラオス・マレーシア・フィリ…

一難去って

三日間ほどタローの姿が見えなかった。当然ながら、たいへんに不便だ。早いとこ出てきてくれないことには……。 日々の暮しにあって身から離すのは、シャワーや入浴のとき、全裸で体重測定のときくらいなものだ。台所での水仕事や草むしりなど汗かき仕事の場合…

退出口

あくまでも当方事情と視定めねばならない。先方事情ではない。つまり評価だの想い出だのは、このさい度外視である。 文学史上の大家による過去の名作ならば、古書肆に出しやすい。同時代作家のお仕事として、刊行時に買って読んだ作品は、出すと残すの線引き…

猛暑盂蘭盆

大葉の陰で花準備。 金剛院さまの境内には蓮池がある。実際の池ではない。大人三人が両腕を伸ばして囲うほどの大岩に、ぽっかり穿たれた穴だ。巨大な蹲踞(つくばい)といってもいい。 十年ほど前までは、水草の棲息池だった。蛙の産卵池でもあったらしく、…

身のほど

同学年生三百五十余名。うち夭折者がいく名あって、現在いく名健在か、数えたことはない。卒業アルバム用写真の撮影とかで、とある昼休み、中庭へ全員集合させられたのだった。ふだんはテニスのクレーコートにも早変りする中庭で、テニス部の連中が始終、馬…

寒蘭

ふと話題が途切れたときの酒場カウンタートーク。いわゆる「アッ、今天使が通っていった」とき、お気に入りの花は? といった話題になることがある。いい齢して「野菊の墓」チック~ゥ、なんぞと自嘲しながらも、これがけっこう盛上ることもある。 面倒な説…

気の持ちよう

自分への慰労。「うなぎまぶし飯」サミットストア謹製 490円(税抜き)。 着物は整えて枕元に置いて寝るように、持物は点検して机に並べておくように、履物は出して玄関に揃えておくように。遠足の前日は、母から口うるさく念押しされたものだ。とりたてて反…

今朝の秋

きっと気のせいだ。違いない。けど、今日も蒸暑くなりそうな気配でありながら、どこか違う。2索(リャンソウ)をツモッて来た感じとでも申そうか。 起床後ただちに体重測定・検温・血圧測定し、記録する。日課だ。日に一度、不愉快な数値と直対する。自分へ…

世過ぎの文

吉川英治『私本太平記』全13巻(毎日新聞社、1959~62)定価各260円 吉川英治の時代というものが、たしかにあったようだ。徳川無声の語りによる『宮本武蔵』ラジオ朗読番組放送時間には、銭湯ががら空きになったという伝説は戦前の噺だ。戦後になっても、出…

気休め

正午を回った。時分時に失礼かとは思ったが、散髪屋へと向う。 中天は青空に白雲で、今日も猛暑だ。フラワー公園に人影がない。日曜である。夏休みに入った児童の相手を、お父さんが務める姿があってもおかしくはない。が、この暑さのなかで真昼に公園遊びな…

インドネシア

ふと思い出して、読み返したくなることがきっとあろう。が、読み通す体力はあるまい。古書肆のお手に委ねることになろう。 プラムディヤ・アナンタ・トゥールはインドネシア文学の第一世代を代表する作家た。年代的には、安部公房・吉行淳之介・三島由紀夫・…

日影伝い

セブンイレブンにて、煙草を買っている。 徒歩一分の距離にファミマがあった。なん十年も便利に買物させていただいた。閉店なさったところで代替は近所にいくらでもあるとはいえ、徒歩一分の煙草屋が消えたのは、私にとっては不便だ。 店員さんにいっさい代…

古戦場から

『佐野學著作集』〈全5巻揃〉佐野学著作集刊行会 編(1957.9 ~ 58.6)定価ナシ。奥付には「特に会員のみに配布」と明記。 もはや読返す体力も時間も、残されてはいまい。隣室へ移動するにさえ、手順足運びに気をつけねばならぬゴミ屋敷にあって、障壁や足…

明日の秋

物干しに揚って、西方を望む。肉眼では「夏の雲」、ファインダーを通すと「秋の空」である。感性というもんは、たしかに実在して機能してはいるが、信用のおけぬものだ。 昨日のごとき雷雨は論外としても、建材が陽に炙られて蒸風呂状態となった屋内から、暑…

たかが知れた

出掛けようとしたやさきに、猛然たる雷雨。草も木も、石までもが嬉しそうだ。だから云わぬこっちゃない。私がホースで水撒きなんぞしたところで、たかが知れている。だれも悦びゃしない。天然の水がよろしいに決ってる。 八月九日本番となる「夏季文章講座」…

ありがたい

ズズズズッ、プルプルプルプルッ、擦れ合うような音に眼が醒めた。ここ数年姿を消していたネズミどもが、久しぶりにやって来たのかと、咄嗟に不吉な想いが湧いた。眼覚しは設定時刻の三十分前だ。起床することはかまわない。 ガラス窓とカーテンとの間で、雀…

中間地点

中間地点より拙宅を望む(東→西)4:31 a.m. 汚れものが溜ってしまって、洗濯機三台と乾燥機二台とを稼働させた奮闘の模様を、やれやれという口ぶりで記録したのは、三週間ほど前のことだ。これからは心を入換えようと念じたのである。週に一度は洗一台に乾一…

文脈

「やれやれ、今日もけっこうなお日和で……」 往来でご近所さんとのご挨拶。先方もトホホという表情で「ほんとうに……」 情景を想像できなければ「やれやれ」の意味が解らない。「トホホという表情」の意味も伝わらない。 まことの意味は「今日も暑くて参ります…

一匹の

今年も、この季節が巡ってきた。拙宅のわずかな敷地内でも、雑草群のあいだを縫う飛石の上で、ミミズが絶命する。これが今年の一匹目。今月から来月にかけてあとなん匹か、命果てるはずである。 なまじ草むしりに精を出したまま、念入りな水撒きを怠っている…